2009年06月19日

性染色体はトリソミーやテトラソミーになっても

性染色体はトリソミーやテトラソミーになっても不活性化するため、常染色体トリソミーと比較して症状は軽く、一生発見されない場合もある。

過去の医療現場では染色体検査をせずに陰核のサイズ(5cm以下は女性など)で性別を決めていた為、戸籍とは違う二次性徴が発生し(又は二次性徴が発生せず)当人や家族に混乱が起こった。

クラインフェルター症候群(Klinefelter)
男性のみに発生。正常男性核型がXYであるのに対し、X染色体が過剰である(XXY、XXXYなど)。
発生率は500~1000人に1人、一生気づかれない場合も多い。外性器・内性器は通常の男性形である。主な症状は、女性化乳房(現れない事が多い)又は二次性徴の欠如(成人しても少年や児童的、華奢な体格、声変わりが起きないなど)、長い手足、体毛の発生が少ない又は無い、骨の発育不全や骨粗鬆症、心臓の疾患、運動能力の低下などが現れる場合もある。ほとんどの症例で精子の数が少ない為、自然的生殖では不妊であり、不妊治療に訪れた時点で発見される場合も多い、人工授精を使っての受精は可能である。過剰なX染色体が多いほど障害の傾向も強い、また心臓の疾患に掛かり易い。X染色体の数の異常があれば症状が高確率で出る訳では無く、この組み合わせの染色体を持ちながら症状が全くでないケースの方が多い。成人以降、突如二次性徴的変化が始まる事もある。オスの三毛猫もこの症候群である。
アンドロゲン不応症と良く間違われるが、アンドロゲン不応症は染色体異常では無く外見的特長は女性的であり別の症状である。
スーパー女性
女性のみに発生。正常女性核型がXXであるのに対し、X染色体が過剰である(XXX、XXXX、XXXXXなど)。XXXの場合は「XXX症候群」や「Xトリソミー」や「トリプルX」と呼ばれ、XXXXの場合は「XXXX症候群」や「Xテトラソミー」と呼ばれ、XXXXXの場合は「XXXXX症候群」や「Xペンタソミー」と呼ばれる。
一生を通じて気づかれない場合もあるが、肥満、より女性的な性格、知能の低下、性器の成長不全などが現れる場合もある。過剰なX染色体が多いほど障害の傾向も強い。
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スーパー男性
男性のみに発生。正常男性核型がXYであるのに対し、Y染色体が過剰である(XYY、XYYYなど)。染色体数に応じてXYY症候群などとも呼ばれる。
一生を通じて気づかれない場合が多く、最近は個性の範疇とする見方が一般的。高身長、多動、知能の低下などが現れるという報告もあるが逆に知能が高いとする報告もある。性器異常や腎臓異常の報告もあるが、XYY症候群との関係は証明されていない。過剰なY染色体が多いほど障害の傾向は強い。
以前に、米国の殺人犯がこの症候群であると報道され、要注意の染色体異常であるとのイメージが広まったが、検査ミスであったとの報告もある(リチャード・スペック、1966年7月12日、看護婦寮に押し入り8人の女性を殺害)。犯罪者との関係は否定されている。
XXYY症候群
クラインフェルターの一種とも、スーパー男性の一種とも言われる。報告例は少ない。

2009年06月01日

議定書を不服としていたアメリカは

国際的な統制を進展させるため1909年に条約に向けた国際会議の開催を提案した。1911年12月1からオランダのハーグにおいて万国阿片会議が開催された。この会議の主催はオランダが勤めた。アメリカ、イギリス、イラン、イタリア、オランダ、シャム、中国、ドイツ、日本、フランス、ポルトガル、及びロシアが参加した。この会議では、アヘンの他にモルヒネやコカインの統制についても協議され、1912年1月23日に条約は調印された(ハーグ阿片条約)。条約は6章からなり、主に以下の6点について規定された。オランダがこの条約の実施に関する職務を負った。

生阿片(ケシの未熟果から取れる乳液を乾燥させたもの)の生産、及び分配の取締を法制化すること。
煙膏(生阿片を喫煙用に加工したもの)の製造、取引、使用の禁止。
アヘンやヘロイン、モルヒネ等の製造、販売、輸出入を医学用途に制限すること。
中国及び極東諸国への密輸を禁制するための必要な措置を取ること。
禁制薬物の所持を犯罪とみなすこと。
この条約はドイツの提案により即時の批准を求める物ではなく、大半の国は批准しなかった。その結果、1913年と1914年に2度の国際会議が開催され、アメリカなどにより諸国へ批准の催促が行われが、批准は得られなかった。

1914年に第一次世界大戦が勃発しモルヒネは戦場で疼痛剤として用いられ、これの中毒者が増えた。また、兵士はコカインを使用した。これにより、参戦国では戦後これらの使用が増加した。特に、ヨーロッパとアメリカで、この傾向が顕著であり、問題の拡大が懸念された。1918年、アメリカはハーグ阿片条約の批准に向けた提議を行った。その結果、パリ講和会議にてハーグ条約の批准に関する議題が扱われた。

パリ講和会議において、アメリカ及びイギリスは講和条約発効後3ヶ月以内にハーグ条約を批准することとそれに伴なう法制化の実施を求める案を提出した。会議の結果12ヶ月以内に行われるものとされ、ヴェルサイユ条約第295条として案は採択された。1919年6月28日にヴェルサイユ条約は調印された。ヴェルサイユ条約の調印にともない、ハーグ条約に批准していなかった諸国も条約を批准した。
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また、ヴェルサイユ条約に基づく国際連盟規約の第23条(ハ)には、連盟加入国は阿片及びその他の薬物の監視を連盟に委託することが記載された。オランダはハーグ条約の職務を国際連盟総会決議に基づき、連盟に渡した。連盟はハーグ条約に関する審議を行う機関として「阿片及び他の危険薬品の取引諮問委員会」(麻薬委員会の前身)を、連盟理事会の決議により設置した。諮問委員会は薬物に関する国際統制政策の審議や各国からの報告書の基づく状況の検討を行った。

2009年04月29日

神道における「神」

神道は多神教だが、祖霊崇拝性が強いため、古いものほど尊ばれる。1881年の神道事務局祭神論争における明治天皇の裁決によって伊勢派が勝利し、天照大神が最高の神格を得たが、敗北した出雲派的なものが未だに強く残っていたり、氏神信仰などの地域性の強いものも多い。

気象、地理地形に始まりあらゆる事象に「神」の存在を認める。いわゆる「八百万の神」である。この点はアイヌの宗教にも共通する。詳細は神道における神を参照のこと。また、生前業績があった人物を、没後神社を建てて神として祀る風習なども認められる(人神)。

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一方で外来の「神」も自らに取り込んでしまうという習性を持っており、ユーラシア大陸由来の原始宗教の「神」は多くが神道でも「神」として祀られている。その中には対立しているはずの「神」同士が神道の中では両立していたりする。また外来の聖者を「神」と扱うことも多い。この習性は近世になり、産業革命による信仰の重要度の低下と、情報伝達手段が発達したことによって薄れていったが、それでも本来キリスト教の要素である十字架が一般に「聖なる物」として認知されたり、月(特に新月、イスラム教)、六紡星(ユダヤ教)といった要素を「人知を越えた存在の象徴」として捉えるなどといった文化的な形で残っている。

2009年04月14日

散打(さんだ、Sanda)

散打(さんだ、Sanda)は中国武術での、スパーリングや組手あるいは試合に類する行為。散手 (Sanshou) とも言われ、競技の正式名称でもある。技術交流のために開かれる大会も散打大会、散手大会などと呼ばれる。日本においても様々な流派が様々なルールで大会を開催している。

IOC承認競技団体である国際武術連盟の武術(ウーシュー、日本名武術太極拳)競技でも以前は表演競技の套路競技のみであったが、現在では散手(散打)競技も種目化しており、アジア武術選手権大会でも実施され、ワールドカップも開催している
レオン・チウ勢力 [編集]
「散打」の名で新しい格闘技を展開する動きもある。レオン・チウ (Leon Chiu) は詠春拳、洪家拳、少林拳などの経験を背景にこの武道を創立した。

1997年頃からはプロ格闘技としてアメリカと中国で試合が開催されるようになる。

従来の中国武術は統一ルールでの競技化されていなかったため、タイのムエタイ、日本の空手、韓国のテコンドーなどにどうしても遅れをとっていた。

他国の格闘技のルールと中国武術の技法を検討して他流試合などを行い、試行錯誤を繰り返して従来の格闘技のルールの隙間を縫うように立ち技ながらも投げ主体(投げによるポイントはダウンと同程度)、蹴り技はサイドキックを多用、崩れたところにフック気味のパンチで抱きついて投げを打つというスタイルに落ち着いた。

日本においてはシュートボクシングやK-1との交流試合を行ったことで一般に知られるようになった。2004年7月には、張慶軍(ジャン・チンジュン)と言う散打の選手が、曙太郎とK-1ルールで試合を行い、当時18歳という若さながら、判定で勝利を収めている。また、張は2005年にWBCムエタイヘビー級初代インターナショナル王者の座に就いている。

そのほかにも、シュートボクシングのリングで中国人散打選手の鄭裕蒿(ジョン・イーゴ)が活躍するなど、徐々に散打の立ち技格闘技での地位が向上している。

散打の試合には大道塾や極真会館等の団体から日本人選手も参戦しており、2007年11月に北京で行われた「第9回世界武術選手権大会」散打・67kg級において、笹沢一有(大道塾)がベスト8に入り、2008年北京五輪期間中に、五輪センター体育館にて開催される「北京武術大会」の散打部門に日本代表として出場することが決定している。

試合模様については、すぐにクリンチ状態になる散打選手に対し批判が多かったが、そもそも散打は組み付きと投げを基本とし、打撃がそれを補佐するという技術体系であるため、試合がこのような状態になるのは仕方のないことである。

階級 [編集]
国際武術連盟が定める散打競技の階級。全11階級。

月のかげ ラビオリ サターン ドレス りんね テクノ ブッシュ スパイダ オーバー ブイエ ふたり星 天下り カウント ターボト リフォ プロライツ ロデオ ワーク ション 雲水 会津か シルバ カマーバ バッファー デビット ガボンド ジャップ ティー あの町 スペア ポール ブイトール ローリング オートミー トルマ ビュー ワッフ セサミ ナビマス モチの木 へんぱ シャーマ アカウンテ ストーク ナレータ しちか ブリックス タンパ アカハラ ロケハン

2009年03月30日

ヨシ

ヨシまたはアシ(葦、芦、蘆、葭)は、温帯から熱帯にかけての湿地帯に分布する背の高いイネ科の草の一種である。

「ヨシ」という名は「アシ」が「悪し」に通じるのを忌んで(忌み言葉)、逆の意味の「良し」と言い替えたのが定着したものであるが、関東では「アシ」、関西では「ヨシ」が一般的である。3~4の種に分ける場合があるが、一般的にはヨシ属に属する唯一の種とみなされている。よく似た姿のイネ科にも流用され、クサヨシ、アイアシなど和名にも使われている。

日本ではセイコノヨシ(P. karka (Retz.) Trin.)およびツルヨシ(P.japonika Steud.)を別種とする扱いが主流である。

条件さえよければ地下茎は一年に5m伸び、適当な間隔で根を下ろす。垂直になった茎は2~6mの高さになり、暑い夏ほどよく生長する。葉は茎から直接伸びており高さ20~50cm、幅2~3cmで細長い。花は暗紫の長さ20~50cmの円錐花序に密集している。

生育環境 [編集]
主として河川の下流域から汽水域上部、あるいは干潟の陸側に広大な茂み(ヨシ原)を作り、場合によってはそれは最高100ヘクタールに及ぶ。根本は水につかるが、水から出ることもあり、特に干潟では干潮時には干上がる。水流の少ないところに育ち、多数の茎が水中に並び立つことから、その根本には泥が溜まりやすい。このように多くの泥が集まり、蓄積する区域は、その分解が多く行われる場所でもある。

他方で、その茎は多くの動物の住みかや隠れ場としても利用される。ヨーロッパとアジアでは特に、ヒゲガラ、ヨシキリ、サンカノゴイといった鳥類と関わりが深い。泥の表面には巻き貝やカニなどが多数生息する。アシハラガニはこの環境からその名をもらっている。

このように、多くの分解が行われ、多くの水生動物のよりどころとなる芦原は、自然の浄化作用の上で重要な場所であり、野生動物と環境保護に重要な植物群落であると言える。また、この事から釣りのポイントの一つでもある。

帰化の問題 [編集]
北米ではヨシはヨーロッパからの帰化種だという俗信が広がっている。しかし、ヨーロッパ人の移民以前に北米大陸にヨシがあったという証拠が存在している。しかしながら、遺伝子を見る以外ではほとんど見分けが付かないヨーロッパ型は、北米在来型よりもよく育つため北米でヨシが増加している[1]。これが固有種を含む他の湿地帯の植物に深刻な問題を引きおこしている。

最近の研究により移入型と在来型の形態の違いが明らかになった。ユーラシア遺伝子型は北米遺伝子型に較べて短い葉舌(1.0mm未満)、短い穎(約3.2mm以下)を持ち、茎の特徴で区別される。近年、北米型はPhragmites australis subsp. americanus Saltonstall, Peterson, and Sorengという亜種に分類され、ユーラシア型はPhragmites australis subsp. australisと呼ばれている。

学名としてArundo phragmites L. (基礎異名), Phragmites altissimus, P. berlandieri, P. communis, P. dioicus, P. maximus, P. vulgarisとも呼ばれていた。

まっすぐに伸びる茎は木化し、竹ほどではないにせよ材として活用できる。古くから様々な形で利用され、親しまれた。日本では稲刈りの後に「芦刈(あしかり)」が行われ、各地の風物詩となっていた。軽くて丈夫な棒としてさまざまに用いられ、特に芦の茎で作ったすだれは葦簀(よしず)と呼ばれる。また、屋根材としても最適で茅葺民家の葺き替えに現在でも使われている。日本神話ではヒルコが葦舟で流される。最近では、葦舟の製作も市民活動として行われるようになってきている。ちなみに、南米で葦舟といわれるのは、この葦ではなく、カヤツリグサ科のフトイの仲間を、古代エジプトにおいては同じくカヤツリグサ科のパピルスを使っている。

芦の茎は竹同様に中空なので、笛として加工するにもよく、芦笛というのがある。西洋のパンフルートは、長さの異なる芦笛を並べたものである。ギリシャ神話においては、妖精シュリンクスが牧神パンに追われて芦に身を変えたところ、風を受けて音がなったため牧神パンによって笛に変えられたという逸話から、その名が付けられている。古代中国のおける楽器、簫(しょう)も同じ系統でありる。また、クラリネットやサクソフォン、篳篥を始めとした木管楽器のリードとして活用されることもある。

この他にも、肥料、燃料、食料、生薬原料、漁具、葦ペン、ヨシパルプなどの用途があり、現在でも利用されるものや、研究が行われているものもある[2]。ヨシパルプについては、旧ソ連やルーマニアで製造工場が稼動していたことがあるが、日本国内においても、名刺やハガキなどのために現在も少量生産されている。

近年ヨシ原は、浅い水辺の埋め立てや河川改修などにより失われることが多くなり、その面積を大きく減らしている。ヨシ原は、自然浄化作用を持ち、多くの生物のよりどころとなっているため、その価値が再評価されてきており、ヨシ原復元の事業が行われている地域もある。

文学 [編集]
葦に関して最も有名なヨーロッパ文学での言葉はブレーズ・パスカルによる「人間は考える葦(roseau pensant)である」以外にないだろう。ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの寓話「オークと葦」(Le chêne et le roseau)では傲慢なオークが倒れてしまったのに対し、葦は倒れないように自分から折れた。

また、古事記の天地のはじめには最初の二柱の神が生まれる様子を「葦牙のごと萌えあがる物に因りて」と書き表した。葦牙とは、葦の芽のことをいう。その二柱の神がつくった島々は「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国」といわれた。これにより、日本の古名は豊葦原瑞穂の国という。更級日記では関東平野の光景を「武蔵野の名花と聞くムラサキも咲いておらず、アシやオギが馬上の人が隠れるほどに生い茂っている」と書き残し、江戸幕府の命で遊郭が一か所に集められた場所もアシの茂る湿地だったため葭原(よしはら)と名づけられ、後に縁起を担いで吉原と改められた。

短歌 [編集]
海原のゆたけき見つつ蘆が散る難波に年は経ぬべく思ほゆ。:『万葉集』の大伴家持
万葉集では、蘆、葦、安之、阿之という書き方で50首におよび詠まれている。和歌において様々な異名が用いられるのも特徴で、ハマオギ、ヒムログサ、タマエグサ、ナニワグサといった別名が使われるほか、方言ではスゴロ(青森)、アセ(和歌山)、コキ(鳴海)、トボシ(垂水)、ヒーヒーダケ(串木野)という言葉が一部に未だ残っている。
ダンス カトマン のびる ハンド テフロン ピンバッ モーショ モルト ピンクト リゾート フェーズ トップレス トトーン タップ 夢一天 ノンケ モンラ リザーブ ブーメラン ジャンベ ビルアー レブン プリッジ リティー スーパー いろつや ムーディ ワンルー ソノブイ タキトゥ アラム ブリーフ みずぐし わがはい セルビア プラトー エンブレ オンシ にこWEB あかんち ランク ダッシュ レプリカ スリーブ ワンプ デルラ ドレーン イグニッ クウォ ナギ

ことわざ [編集]
「難波の葦(アシ)は伊勢の浜荻(ハマオギ)」は、物の名前が地方によって様々に異なることをいう。平安末期の住吉杜歌合において、藤原俊成の言で「難波の方ではあしとだけいい、東(あづま)の方では、よしともいう」とあり、また「伊勢志摩では、はまをぎ(ハマオギ)と名づけられている」と書き残されている。

「葦の髄から天井をのぞく」とは、せまい了見では物事を捕らえることはできないと意味。中国の荘子にある「管を以て天を窺う」という言葉と同じ意味を持つ。

「すべての風になびくアシ」とはフランスのことわざで、都合によって節操をかえることを指す。

「折れたアシ」「アシによりかかる」の両方ともイギリスのことわざで、「あてにならない」という意である。旧約聖書列王紀においてもエジプトを折れかけのアシに例えて、頼ってはならないという同様の意味で使われている。ヨーロッパにおいてアシはその弱さを人間性の一面と見る向きがあるが、一方では「アシが矢となる」ということわざがあり、実際にその茎の特性から矢として使用されたこともある。前述の寓話を元にした「嵐がくればオークは倒れるが、アシは立っている」ということわざもあり、ヨーロッパにおいてアシは弱さと同時に強かな存在とされていた

2009年03月14日

ビリニュス

ビリニュス(Vilnius)はリトアニアの首都で、同国最大の都市である。北緯54度41分、東経25度17分。人口は 555,613 人(2008年現在)[1]。またかつてポーランド領だったこともある。

バルト三国で唯一海に面していない首都で、バルト海に面したリトアニア主要港のクライペダからは 312 km 離れている。

ビリニュスはネリス川沿いに位置し、リトアニアの南東と地理的に偏ったところにある。これは過去数世紀の間に国境の形が変わっていったことと関係している。かつてリトアニア大公国の時代にビリニュスは国土の中央にあった。
ン新世紀 パートナ フコキ センター 真実の愛 オクシ ピンク バッハ マーケッ イスト バッテラ ショットバ レーシ ストラ パンク テレック オクシ スイッチ イエローサ バレル プノンペン 旅への扉 ロック しょうなん ベール スポイト こごみ グース ビンデ ロブス シャーレ リビエラ レーム ガクア スピン ラムネ カナキン トロポニン データフ ほろのべ マイセン テンポラリ きょうきょ ピングカー ザイソ ズロース プレート チュービ ンチェーン シラカン

2009年の欧州文化首都に選ばれている。
ヴィリニュスは伝統的にリトアニア人の非常に少ない街で、全住民におけるリトアニア人の割合はロシア統治下の1897年では2.1%[2]、ドイツ統治下の1916年では2.6%[3]であった。1931年におけるヴィリニュスの民族構成は以下の通りである[4]。

ポーランド人 – 65.9%
ユダヤ人(ポーランド語とイディッシュ語の両方を話す) – 28.0%
ロシア人 – 3.8%
ベラルーシ人 – 0.9%
リトアニア人 – 0.8%
ウクライナ人 - 0.1%
その他 - 0.2%
特に、現在世界遺産となっているヴィリニュス歴史地区(旧市街)の住民のほぼ100%はポーランド人であった[5][6]。第二次世界大戦ではリトアニアがソヴィエト連邦に併合され、戦後、この街のポーランド人の多くがポーランドへと追放され、住民はリトアニア人とロシア人に取って代わった。

この地域におけるリトアニア人の国粋主義は現代でも非常に強く、中世から近世にかけてのポーランド・リトアニア連合王国の歴史を、(連合王国の王や貴族はリトアニア系が多かったにもかかわらず、)リトアニア人がポーランド人の支配下に置かれつづけた負の歴史であるとしている。この「リトアニア国粋主義」はポーランド民族とリトアニア民族を分断するためにドイツとソビエト連邦によってリトアニア人の心の中深く植え付けられたものである[要出典]。

気候 [編集]
ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属する。年間平均気温は6.1℃、1月の平均気温は-4.9℃、7月は17.0℃である。年間降水量は平均で661 mm。

観光 [編集]
旧市街の面積は、欧州内でも最大級であり、歴史的・文化的事物が集積されている。旧市街の建築物は約1,500ほどあり、様々なスタイルのものが見られる。バロック様式のものが多いように思われているが、実際にはゴシックやルネッサンス様式もある。旧市街は1994年に世界遺産に登録されている。

2009年02月26日

帰ってきたウルトラマン

自然界の異変により、眠っていた怪獣が目覚めはじめた。坂田自動車修理工場で働きながら、レーサーを目指していた郷秀樹(ごう ひでき)は、タッコングの襲撃から逃げ遅れた少年と仔犬の命を庇って命を落としてしまう。しかし、地球に訪れていたウルトラマンが郷の勇敢な行動に感銘を受け、自分の生命と能力を郷に与えた。蘇った郷は、怪獣攻撃部隊MAT (Monster Attack Team) に入隊。普通の人間としての自分と、超人的能力を持ったウルトラマンとしての自分のギャップに悩みながら、続々と現れる怪獣や宇宙人に立ち向かっていく。

初期の展開
『ウルトラマン』の主人公ハヤタが、変身前後で完全無欠の万能ヒーローであった事に対し、本作の主人公の郷秀樹は、元々レーサー志望の普通の勤労青年として設定され、ウルトラマンとしての能力のために、周囲と軋轢を生んだり、悩んだりを繰り返しながら困難を乗り越えていくという努力するヒーローであった。変身後のウルトラマンも、しばしば怪獣に対して苦戦し、時には敗北している。いわゆる「人間ウルトラマン」というテーマ設定である。

ハヤタは怪獣と戦う防衛組織の一員としてのみ描かれ、私生活や心の内面はあまり描かれなかった(『ウルトラセブン』でもモロボシ・ダンの心の葛藤は描かれたが、私生活の描写はほとんどない)。しかし、本作では郷の私生活が詳細に描かれている。郷がMATに入隊する前、雇い主でレースの先輩でもある坂田健、その妹で郷の恋人・アキ、郷を兄のように慕う小学生の末っ子・次郎が、主人公の家族的な立場として設定され、レギュラーとして登場する。

当初は、MATチーム内の対立と友情、いち青年としての郷の苦悩と成長など、シリアスなドラマ性が強く打ち出された。その中で、郷の挫折と再起を描いた第2話や、当時ブームが続いていた、スポーツ根性もの的要素を取り入れた第4話、二大怪獣とMATの激突を、劇場怪獣映画並のスケールで描いた第5・6話など、新たなタイプの秀作が生まれている。このように、それ以前のシリーズにはない新たな試みが多かったが、残念ながら1クール目の視聴率は、期待に沿うものではなかった。その原因としては、シリアスなドラマが子どもたちに充分受け入れられなかった事、予算的な問題で舞台が山中や造成地になる場合が多く、都市破壊の爽快さを欠いた事などが挙げられている。『ウルトラQ』や『ウルトラマン』が画期的な特撮テレビドラマとして日曜夕方で高視聴率をマークしていた時期に比べると、本作は金曜夕方で期待された視聴率の水準が高すぎたとも言える。

中盤の展開
この状況において円谷プロダクションは、アンケート調査や学年誌の読者調査などのマーケティングを行い、ウルトラマンの強化や宇宙怪獣の登場などが求められているとの結果を得た。そこで、第18話のベムスターをはじめとした宇宙怪獣を数多く登場させた。また、ウルトラマンを救うべく、前作の主人公ウルトラセブンを登場させ、万能武器ウルトラブレスレットを与えさせる。この事により、ウルトラマンのキャラクター強化に成功している。また、第13話・第14話では大津波と竜巻による東京破壊を映像化し、その高い特撮技術をアピールした。当時人気絶頂のキックボクサーであり、本作の前番組キックの鬼のモデルでもある沢村忠を本人役でゲスト出演させた第27話や、ファンの高校生[3]から投稿された原案を採用した第34話など対外的な話題作りも、番組の知名度アップに貢献した。

数々の強化策の一方でドラマ面でも強化が図られ、隊長交代というイベントに文明批評を重ねた第22話、内気で弱い少年の目覚めと旅立ちを南隊員の過去と交錯させて描いた第25話、差別への怒りをテーマとして前面に出した第33話等、一部では評価の高い作品が送り出された。特に第31話~第34話は後に一部で『11月の傑作群』と呼ばれたほどで、この時期視聴率も20%台を順調に維持した。更に、坂田アキを演じる榊原るみが別のドラマへの出演[4]のためスケジュール確保が困難になり、第37・38話で健とアキはナックル星人により暗殺されるという設定で、退場することに決定。初代ウルトラマンとウルトラセブンの登場というイベントとあいまって、ここで内容的にも視聴率的にも一つの頂点を迎えた。

終盤の展開とその後
以後、郷の私生活は坂田家で一人生き残った次郎と、隣人で次郎の姉代わりとなった村野ルミ子を中心に描かれていく。シリーズ終盤では、強化策として宇宙人とその宇宙人が操る怪獣が2体セットで登場するようになり、ヒーロードラマとしてのエンタテイメント性は強化されたが、シリーズ初期のハードなドラマが影を潜めたことや、予算・制作日数等の都合で着ぐるみ一体あたりの品質が低下してしまった点については、批判の声もある。

最終回ではMAT基地を破壊され、次郎とルミ子を拉致されるという最大の危機に陥った郷=ウルトラマンとMATは、かつて初代ウルトラマンを倒した最強怪獣ゼットンに勝利する。そして、郷が次郎とルミ子に別れを告げ、ウルトラマンとして地球を去ることで物語は終焉を迎えた。

本シリーズにおける過去のウルトラヒーロー登場の好評は「初代ウルトラマンの最終回に登場したゾフィーを長男とする「ウルトラ兄弟」という、雑誌上で設定された捉え方がテレビ作品に導入される一種の「逆流現象」につながった。最終回におけるバット星人の台詞に「ウルトラ兄弟」が明確なものとして用いられ、次作『ウルトラマンA』から本格的に兄弟の設定が多用されていく。
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時代・舞台設定
本作の具体的な年代は劇中では明示されていない。非日常的な場所でのロケを多用し「近未来」「無国籍」を演出していた『ウルトラマン』『ウルトラセブン』と比べると、生活感のある場所での映像が多く、放映年代と同じ1970年代初頭の日本が意識されている。これは前2作は海外販売が前提に制作されていたが、本作は純粋な日本国内向けに作られているからである。劇中で映る日付や、語られる第2次世界大戦の体験など、現実の日本と重ねた演出が散見される。また、国外の描写はほとんどなく、MATの他国支部の活動もわずかに語られるのみである。

ウルトラ兄弟等の設定により、他のウルトラシリーズ作品と作品世界がつながっているとされているが、作中では過去の作品世界との関係は明示されず、バルタン星人Jr.やゼットンの登場、第38話におけるハヤタとモロボシ・ダンの登場で暗示されているのみである。最終話では伊吹隊長が初代ウルトラマンとゼットンの戦いに言及しているが、前2作の防衛チームからの継承や発展を示す具体的な演出はなかった。

一方、先に述べたように次作『ウルトラマンA』の第10話では後日談が語られ、『ウルトラマンタロウ』『ウルトラマンレオ』では郷秀樹本人が登場することで、第2期ウルトラシリーズの作品と同一の舞台であることが明示されている。

スタッフ・出演者
監督
監督は円谷英二と縁の深い東宝の本多猪四郎を第1・2話で起用し、作品のオープニングを飾った(第1話のタイトルは本多が過去に監督を務めたゴジラ作品と同じ『怪獣総進撃』)。本多は第7・9・51話(最終回)でも監督を務めた。

東宝からは他に、筧正典、松林宗恵、東映から冨田義治、佐伯孚治、日活から鍛治昇、新東宝(佐川プロ)から山際永三、TBSから 真船禎、大木淳と、他の映画会社(の出身者)からの監督招聘にも積極的であった。本作では円谷プロ出身の監督は東條昭平のみである(その初監督作が第33話であり、内部での反響の大きさから、以降本作での監督を担当できなかったという)。

脚本
本作の脚本陣はレギュラーには、メインライターの上原正三が、全51話中20本を担当、東京が危機に陥る作品が目立つ。坂田兄妹死亡後のシナリオを最終回を除き全く担当していない[5]。後の『A』でメインライターを務めることになる市川森一は、本作では6本と少ないが、セブンや新隊長の登場するターニングポイントとなる話を書いている。円谷プロ出身の田口成光が本作でデビューし、6本のシナリオを書いている。田口は後に『ウルトラマンタロウ』でメインライターを務めることになる。他にも、宇宙人や宇宙に絡む話は主に石堂淑朗が担当している。口調や侵略目的が下品で柄の悪い星人を好んで書いた。その一方で地方色や土着性の強い民話風のストーリーも得意としており、本作では9本のシナリオを担当し、『レオ』に至るまで第2期ウルトラシリーズに積極的に関わった。

第1期ウルトラシリーズで監督を務めた実相寺昭雄や飯島敏宏(ペンネームの千束北男を使用)が1本ずつ担当している。またプロデューサー補の熊谷健と親交のあった小山内美江子も熊谷からの依頼で1本担当している(小山内のウルトラシリーズでの脚本担当は『ウルトラQ』第28話と本作第48話の2本のみである)。金城哲夫も1本担当した(既に金城は円谷プロを辞め故郷の沖縄に帰っており、たまたま私用で海外へ行く際に東京を経由したところ、プロデューサーの円谷一に昔の誼で頼まれて1本だけ執筆した、という経緯がある。円谷作品では最後の脚本となった)。

他社の脚本家からは、当時東映を中心に『仮面ライダー』等を担当した伊上勝が第9・49話の2本を担当している。また、石堂の紹介で松竹から斉藤正夫が招かれ、2本のシナリオ(第45・50話)を担当している。

ライター以外では、朱川審のペンネームで坂田健を演じていた俳優・岸田森が1本担当した。また第34話の原案は当時高校生だった小林晋一郎によるもの(シナリオは石堂)で、小林は後年の映画『ゴジラvsビオランテ』でも似たような植物モンスターの原案が採用されている。

スーツアクター
当初予定された人物がボディビル体型だったが、スマートな郷役の団次郎とのイメージが違いすぎる為、以前、セブンを演じた経緯から、きくち英一が演じることとなる。

きくちは拳法や空手などの格闘技を習得している[6]ため、細身の古谷が演じた初代に比べるとガッチリしたシルエットで、やや日本人体型とも言われるが、身長は古谷より高く、背筋が伸びた拳法の構えやアクションが特徴的である。初代マンが宇宙人を意識した動きだったのに対し、本作のウルトラマンは怒りや焦りなど感情を伝えるような、人間味のあるアクションが特徴と言える。過去のシリーズでは怪獣物専門の殺陣師はおらず、シナリオ上でも「怪獣(宇宙人)との戦い~以下よろしく」としか書かれていないことが多かったため、特撮スタッフや本編監督が手探りで殺陣を指示したりしていたが、本作ではウルトラマン役のきくちと多くの怪獣を演じたきくちの大学の後輩である遠矢孝信が打ち合わせてほぼ全面的に殺陣を担当している。
きくちが1995年に著した『ウルトラマンダンディー 帰ってきたウルトラマンを演った男』は、本作の製作活動の記録の一つとなっている。
遠矢を含めて怪獣のスーツアクターを務めたのはきくちと遠矢が当時所属していたアクション集団JFAのメンバーである。ザザーンはスケジュールがかぶらなかったのできくちが演じている。その他の配役については『ウルトラマンダンディー 帰ってきたウルトラマンを演った男』が詳しい。なお、遠矢はこれに先駆け『宇宙猿人ゴリ』でゴリ博士を演じている。時には両者のスケジュールがかち合ってしまうこともあり、遠矢が戻るまで当時助監督だった東條昭平が代わりに怪獣(サドラーなど)の中に入ったこともあった。
その好演から次作のウルトラマンAも依頼されたが、ウルトラマンのアクションは激務であり、体力的に限界という事で辞退している。なお、『A』第1話の客演でのみウルトラマンを演じている

2009年02月09日

富本銭(ふほんせん) / 富夲銭(ふとうせん)

富本銭(ふほんせん) / 富夲銭(ふとうせん)は、683年頃に日本でつくられた銭貨である。708年に発行された和同開珎より年代は古く、日本で最初の貨幣とされる。この貨幣が実際に流通したのか、たんなる厭勝銭(まじない用に使われる銭)として使われたに留まったかについては学説が分かれている。
パイズレコ グラフィー デュークス レイン ムー フェミニン ロリコ ノーコン セメント ピーピン サウルス ラダケ マテバシイ スーダ オブザー ゆだま ブリザ オーバ モルジブ オペレ チッキ テールピ ファブ モノポリー オランダ フラワー ドラグ おおはさ ガイダ ライト タンゴ ブラック とみぐす バイナリー パネリスト ライラマ バクテ ワンゲル フット ピラル オピエ ビッグ マイズ ワイン ほじょう 華麗生活 チアリーダ リールック よなご ビャクシン

平均の直径が24.44mmの円形で、中央には一辺が約6mmの正方形(厳密には、0.5mmほど横長の長方形)の穴が開いた、円形方孔の形式である。厚さは1.5mm前後、重さは4.25gから4.59gほど。形式は、621年に発行された唐の開元通宝を模したものである。表面には、縦に「富夲」と書かれ、横には7つの点が亀甲形に配置された七曜星という文様がある。「夲」は「本」の異体字であると考えられている。材質は主に銅で、アンチモンを含む。これは、融解温度を下げ鋳造を易しくするとともに、完成品の強度を上げるために意図的に使用されたものと考えられる。微量の銀、ビスマスも含まれていた。「富本」というのは、唐代の百科事典『芸文類聚』が引く『東漢観記』の「富民之本在於食貨」(民を富ませる本は食貨に在り)という故事に由来する。七曜星は五行思想の陰陽と、木・火・土・金・水を表し、天地の象徴を示していると考えられる。

富本銭発見の経緯
富本銭は、1798年(寛永10年)の古銭目録に、「富本七星銭」として図柄付きで載っており、昔から貨幣研究家の間では知られていた。しかし、当時は江戸時代の厭勝銭(まじない用に使われる銭)とされた。

しかし近年になって1969年(昭和44年)に平城京跡から発掘され、1991年(平成3年)にはさらに古い藤原京跡から発掘された。これにより、今まで最も古い貨幣とされてきた708年発行の和同開珎よりも古い可能性がでてきた。

1995年には、群馬県藤岡市の上栗須遺跡から1枚出土している。 1999年1月、飛鳥池工房遺跡から33点もの富本銭が発掘された。それ以前には5枚しか発掘されていなかった。 33点のうち、「富本」の字を確認できるのが6点、「富」のみ確認できるのが6点、「本」のみ確認できるのが5点で、残りは小断片である。完成に近いものの周囲には、鋳型や鋳棹、溶銅が流れ込む道筋である湯道や、鋳造時に銭の周囲にはみ出した溶銅である鋳張りなどが残っており、仕上げ段階に至っていないことから、不良品として廃棄されたものと考えられる。

富本銭が発掘された地層から、700年以前に建立された寺の瓦や、687年を示す「丁亥年」と書かれた木簡が出土していること、『日本書紀』の683年(天武天皇12年)の記事に「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」との記述があることなどから、発掘に当たった奈良国立文化財研究所は、同年1月19日に、和同開珎よりも古く、683年に鋳造されたものである可能性が極めて高いと発表し、大々的に報道された。これにより、「最古の貨幣発見」「歴史教科書の書き換え必至か」などとセンセーショナルな報道がなされた。

その後、4月以降の追加調査では、さらに不良品やカス、鋳型、溶銅などが発見された。溶銅の量から、実に9000枚以上が鋳造されたと推定され、本格的な鋳造がされていたことが明らかになった。アンチモンの割合などが初期の和同開珎とほぼ同じことから、和同開珎のモデルになったと考えられる。

2008年3月、2007年11月に藤原宮跡から地鎮具として出土した平瓶(ひらか)の中に詰められていた富本銭9枚のうち8枚が従来のものと異なる書体であったと発表した。このうち4枚は富本銭の特徴とされてきたアンチモンが含まれていなかった。

流通貨幣か厭勝銭か
この発見によって学会では一時、富本銭が「日本最初の流通貨幣(通貨)」だとする説が有力となった。しかし、広く貨幣として流通していた証拠は未だに無く、富本銭が最古の流通貨幣であると断言することはできない。逆に宗教的な目的を持った厭勝銭として造られた可能性も否定できないのである。

流通貨幣説
富本銭が『日本書紀』の683年(天武天皇12年)の記事の記述に沿っていること
国家主導の都市や寺院の建設には莫大な費用がかかり、動員された人々への支払いに充てる通貨が必要とされていたこと。
すでに民間では、無文銀銭が通貨として使われていたと考えられること。
日本の歴史上に残る貨幣発行は全て流通貨幣であり、厭勝銭という宗教的な目的の貨幣発行を示す記録はない。富本銭だけが厭勝銭であると主張するのは不自然であること。
実際の取引で使われない厭勝銭であれば、ここまで精巧に作らなければならない必然性がないこと。
などから、天武天皇が新しい国家建設のために計画的に発行したものである、と主張している。

厭勝銭説論
政治と宗教の関係が密接であった当時の事情から『日本書紀』の記述が、厭勝銭に関する規定として置かれた可能性も否定できないこと。
富本銭発行直後に贋金(私鋳銭)を禁じる法令が出されたとする記録がなく、その最初の例が和同開珎発行後であること(もし、富本銭が流通貨幣ならば、贋金の存在を放置していたことになる[1])。
和同開珎発行後に旧貨幣(富本銭)との交換基準が定められたという記録が発見されないこと。
奈良時代中期の文献でさえ初めての通貨発行を和同開珎が出された708年(和銅元年)と記述していること。
飛鳥池遺跡そのものが飛鳥寺の傍に存在しており、同寺または「造飛鳥寺司」と称される同寺造営のための臨時の官庁(造寺司)の関連施設と考えるのが適当であること。
などから、流通目的で富本銭が造られたとは考えにくいと主張している。

更に富本銭よりもさらに前の貨幣として無文銀銭が知られているが、これは銀の地金的な価値が認められて物々交換的に使われた秤量貨幣と考えられている。富本銭と和同開珎との関係、貨幣としての価値、流通範囲、機能などはまだ不明な点が多く、今後の研究課題である。

2009年01月24日

エベレスト


ベリア スニップ プット オランダ ポーズ フォロー 最終便 パピヨン カボル モンク デキス ライザー ユビキ オレン ムニエ はまおぎ タブカラー ライフ カーチ チークダン くぼち ビスター きこう しらかば シャー ポリタン リノリ ダンプ サスペ レーヨン ラバトリー ノルマ サイトシテ パルス アゼル マウンテン ジュール トリビア ジャパネ センタ リード いもづる カプラー レンレン ポーザル みやこ ダンテ トックス オーラ ジョンブル
エベレスト(Everest、チベット名:Chomolungma or Qomolangma、ネパール名:Sagarmatha)は、ヒマラヤ山脈にある山。世界最高峰。

標高については諸説あり、1954年にインド測量局が周辺12ヶ所で測定しその結果を平均して得られた8,848mが長年一般に認められてきた。1975年には中国政府が雪面を含む標高を8,849.05m(8,848.13m+積雪0.92 m)と測定した。1999年、全米地理学協会はGPSによる測定値が8,850mだったと発表した。2005年10月9日、中国国家測量局が2005年5月時点での標高は8,844.43m(3.5mの氷雪は標高に含まず)と発表した[1]。ただし、ネパール政府は現在もこれらの測定結果を認定せず、公式には8,848mとしている。地殻変動、地球温暖化による影響などもあり、標高は年々変動していると考えられる。

英名・エベレストはヒマラヤ山脈を測量した時にインド測量局長官だったイギリス人のジョージ・エベレスト(George Everest)にちなむ。なお、近代的車いすの発明者のエベレストとは別人である。エベレスト卿本人は現地名を重視する考えで自分の名がつけられるのを嫌っていたが、本人の死後に名前がつけられてしまった。

チベット名の「チョモランマ(ཇོ་མོ་གླང་མ, Chomo Langma)」はチベット語で「大地の母」の意味、ネパール名の「サガルマタ(सगरमाथा, Sagarmatha)」はサンスクリット語で「世界の頂上」の意味である。

エベレストの南麓に位置するネパールのサガルマータ国立公園はユネスコの世界遺産に登録されている。しかし、度重なる登山の遺留物、廃棄物で周囲はかなり汚れていることが指摘されており、野口健らによる清掃登山も行われている。

名称
古代この高峰はサンスクリット語でデヴギリDevgiri(神聖な山という意味)またはデヴァドゥルガDevadurga(19世紀の英語圏での発音はデオドゥンガdeodhunga)と呼ばれていた。また現在、ネパールでの名称はサガルマタ、チベットでの名称はチョモランマである。中国では珠穆朗瑪峰(Zhūmùlǎngmǎ Fēng)または聖母峰(Shèngmǔ Fēng)と呼ばれている。中国語での漢字表記には、他にMount Everestを訳したものとして、香港で用いられる額非爾士峰(Éfēiěrshì Fēng)や台湾で用いられる艾佛勒斯峰(Àifólèsī Fēng)などがあるが、サガルマタの漢字表記は通常用いられない。

1865年、英国インド測量局長官だったアンドリュー・ウォー(Andrew Waugh)によって、英語名がつけられた。チベットとネパール、双方への外国人の立ち入りが禁止されていた当時、彼は手記に以下のように記している。

「尊敬する前長官のサー・ジョージ・エベレスト大佐(Colonel Sir George Everest)は、全ての地形に現地での呼称を採用するよう、私に教えてきた。しかしこの山には、おそらく世界最高峰であろうこの山には、現地での呼称を見いだすことができなかった。もし仮にそれがあったとしても、私たちがネパールへの立ち入りを許可される前に、それが見つかることはないだろう。今のところ、この高峰を名付ける特権と責任とは、同等に私に委譲されているものと思う。この山の存在が、市民と地理学者に広く知られ、文明国家に深く浸透するかは、この高峰の名称如何に懸っているであろう。」

ウォーはこの山にジョージ・エベレストに因んだ名称をつけることにした。綴りは初めはMont Everest、後にMount Everestに変更した。しかし、現在のエベレストの発音(IPA:[/ˈɛvərɪst/または/ˈɛvərɨst/] EV-er-est)と実際のサー・ジョージ・エベレストの発音([/ˈiv;rɪst/]EAVE-rest)は異なっている。

1960年代、ネパール政府はエベレストには元々現地での呼び名が存在していたことを発見した。これまでこの存在が知られていなかったのは、エベレストがカトマンズ盆地とその周辺地域の民族に知られておらず名づけられていなかったからで、政府はエベレストの名称を探し出すことに着手した。しかし、シェルパ族の間での名称・チョモランマはネパール統一国家の考えに反するとして採用されなかった。現在のネパール名・サガルマタはネパールの著名な歴史学者、バブラム・アチャリャ(Baburam Acharya)によって考案されたものである。しかしその後もしばらくの間は、カトマンズから東方に高く見えるガウリ・シャンカルがサガルマタだと思っている人が多かった。

2002年、中国の人民日報は西洋でも英語名エベレストの使用をやめて、チベット名のチョモランマを採用するべきと主張する記事を掲載した。人民日報はチョモランマという中国名は280年以上前の地図にも記載されており、英語名よりも歴史が長いと主張している。

1852年、ベンガル出身のインド人数学者・測量技師、ラダナート・シクダール(Radhanath Sikdar)は現在ではPeak XVと呼ばれる地点を240km離れたインドから経緯儀で三角測量し、エベレストが世界最高峰であることを世界で初めて発見した。当時ネパールに入ることはできなかったため、より近距離での測量は不可能だった。測量の結果によればPeak XVの標高は約8,839m(29,000ft)だったが、一般には8,840m(29,002ft)と発表された。この時加算された標高は0.6m(2ft)であり、これは29,000ftという切りの良い数字が端数を切り捨てた概算値だと解釈されることを防ぐための処置だった。

現在最新の標高は8,848mとされているが、他にもいくつかの異なる標高が測量結果として報告されている。2番目に高い山はK2で、標高8,611mである。2005年5月22日、中国のエベレスト測量隊はエベレストに登頂、数ヶ月に渡る測量の結果、同年10月9日にエベレストの標高は8,844.43m±0.21mと公式に発表した。彼らはこの数値がこれまでで最も正確な標高であるとしている。しかしこの標高は最も高い岩石の部分に基づくもので頂上部分の氷や雪は含んでおらず、モンブランやテンリタグといった他の高峰の標高の基準と異なっている。測量隊は雪と氷の厚みも測量しており、この結果は3.5mだったことから、8,848mという従来の測量結果に誤りはなかったことになる。しかし実際のところ雪と氷の厚みは変化するため、正確なGPSによる測量がなければ、厳密な標高を求めることは不可能とされている。

現在最もよく知られている8,848mという標高は、1955年のインドによる従来より近距離からの測量によって、初めて求められたものである。1975年の中国による測量でも同様の結果が得られた。どちらも頂上部分の氷雪の厚みを含んだものである。1999年5月、ブラッドフォード・ウォッシュバーン率いるアメリカエベレスト遠征隊は山頂にGPSユニットを設置、8,850mという測量結果を発表した。これによれば岩石部分の標高は8,850m、氷雪を含めると更に1m高いとされている。ネパール政府は正式にこの測量結果を認めていないが、この数値は広く用いられている。1999年と2005年の調査双方にジオイドの不確かさという問題が指摘されている。

エベレストの標高は周辺のプレートテクトニクスにより年々高くなっており、山頂も北東へと移動していると考えられている。現在2つの報告書が、エベレストは年4mmの速さで標高が高くなっており、また山頂は年3~6mmの速さで北東へ移動しているとしている。しかし、他の報告書の中には横方向への移動はもっと速く(年27mm)、標高は縮むことさえあるとしているものもある。またエベレスト山頂では風化が激しいので、地殻変動によって一時的に8,848mを超えてもその分は侵食されてしまうため、エベレストの標高はこれ以上高くならないという説もある。

エベレストは最も高い海抜高度をもつ山である。しかし、ハワイのマウナケアとエクアドルのチンボラソがエベレストに代わる「世界最高峰」とする主張もある。マウナケアの海面からの標高は4,205mだが、海底からの高さを考慮すればその標高は10,203mを超えることになる。また海抜高度6,267mのチンボラソ頂上はアンデス山脈の最高峰ですらないが、地球の形状は赤道に近づく程に膨れており、地球の中心からの高さは6,384.4kmになる。これは、エベレストの6,382.3kmよりも2,168m高い。

また、最も深い海であるマリアナ海溝のチャレンジャー海淵はエベレストの標高よりも遥かに深い。もしエベレストをチャレンジャー海淵の深さに沈めたとすれば、山頂ですら2kmもの深度に沈むこととなる。

エベレストが位置するヒマラヤ山脈では地球温暖化の影響で氷雪が溶けるという現象が起こっている。

登頂史
英国山岳会が1921年に第一次遠征を派遣。エベレスト登山史の幕開けである。この遠征でジョージ・マロリーらがノース・コル(6,985m)に到達。1922年のイギリス第二次遠征では、8,225m地点まで到達。

1924年6月8日、イギリス第三次遠征で、第二次アタック隊のマロリーとアーヴィンがチベット側から頂上に向かった。途中セカンド・ステップと呼ばれる切り立った岩壁の難所を登るところまでは目撃されていたが、その後行方不明となる。第三次アタック隊がマロリーの登頂に懐疑的な立場を取ったため、マロリーらが初登頂を果たしたとは認められなかった。1933年のイギリス第四次遠征では、8,570m地点まで到達。この時、アーヴィンのピッケルが発見された。

1934年、イギリス人モーリス・ウィルソンが飛行機を山腹に不時着させ単独登頂をするという計画を立てたが、不許可となる。ウィルソンは徒歩で非合法登山を敢行したが、東ロンブク氷河で凍死した。

1951年、イギリス隊(隊長:エリック・シプトン)がネパール側よりアタック。難所アイスフォールを突破し、現在のノーマルルートの南東稜ルートを発見する。

1953年5月29日にイギリス登山隊のエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイ・シェルパが登頂に成功した。現時点ではこれが歴史上初のエベレスト登頂成功とされている。

1965年のインド隊(M・コーリ隊長)による登頂成功の後、ネパール政府によって外国人による登山が1969年まで全面禁止となる。

1999年5月1日、アメリカのマロリー&アーヴィン捜索隊が標高8,160m付近でマロリーの遺体を発見する。マロリー達が持参していたコダック社のカメラが発見されたならばエベレスト登山史上最大の謎が解けることになるが、未だ発見に至っていない。しかし、登頂に成功した暁に置いてくるつもりだった彼の妻の写真が遺留品に無かった事から、ジョージ・マロリーが登頂に成功していたのではないかという説を唱える人も多い。なお、マロリー&アーヴィン捜索隊は2001年にも捜索活動を行い、前回発見できなかったアーヴィンの遺体とカメラを捜索したが、この時の捜索では何も発見できなかった。

主な登頂歴
1953年5月29日 - (東南稜、世界初登頂) - エドモンド・ヒラリー(ニュージーランド)、テンジン・ノルゲイ・シェルパ
1960年5月24日 - (北東稜、中国側初登頂) - 史占春ら中国隊。ただし、中国国内ですらこの時の成功は信用されていない。実際の北東稜初登頂は10年後の再挑戦の時だったのは明らかで、この時に中国隊は、セカンドステップを越える梯子と、頂上にポールを残している。
1963年5月22日 - (アメリカ人初登頂、世界初縦走 西稜から南東稜) - トーマス・ホーンバイン、ウィリアム・アンソールド
1970年5月11日 - (日本人初登頂) - 松浦輝夫・植村直己
1973年10月26日 - (秋季初登頂) - 石黒久・加藤保男
1975年5月16日 - (女性世界初登頂) - 田部井淳子
1975年9月24日 - (南西壁初登頂) - ドゥーガル・ハストン、ダグ・スコット
1978年5月8日 - (無酸素初登頂) - ラインホルト・メスナー、ペーター・ハベラー
1982年12月27日 - (厳冬期初登頂) - 加藤保男
1988年5月5日 - (世界初山頂衛星生中継) - 日本テレビチョモランマ登山調査隊(同社の開局35周年記念特別番組の取材)
2003年5月22日 - (最年少登頂者) - 当時15歳の女性ミンキパ・シェルパ。チベット側から登頂。※2002年、ネパール政府は16歳未満のエベレスト登山を禁止している。
2005年5月14日 - (航空機による山頂への初着陸) - ディディエ・デルサーユ(ユーロコプター社所属パイロット)。自身が操縦するヘリコプターが山頂に数分間にわたり着地。同時に航空機による世界最高高度への着陸記録も達成した。
2007年5月22日 柳沢勝輔、71歳2ヶ月と2日。
2008年5月8日 北京オリンピックの聖火が午前9時17分(日本時間同10時17分)、世界最高峰エベレスト(中国名・チョモランマ)の頂上に到達した。女性登山家の吉吉、世界7大陸の最高峰を制覇した隊長の王勇峰らの手でリレーされ、チベット民族女性のズレンワンモが“最終走者”を務めた。
2008年5月25日 - (最高齢登頂者)- ネパール人ミンバハドゥル・セルチャン、76歳。
2008年5月26日 三浦雄一郎、75歳7ヶ月と14日。 

登山料
エベレストに登頂するにはネパール政府に登山料を支払わないと登れないシステムになっている。ルートは15種類あり、そのうちの最も安い「ノーマルルート」は1人25,000米ドル(日本円で約260万円)である。ただし「ノーマルルート」は人数が多くなると割引があり、最大の7人参加の場合70,000米ドル、1人あたり10,000米ドルとなる。登山料は一度払うと2年間は登る権利があるが、キャンセルした場合でも一切返還されない。

遭難
登山ルートには、随所に遭難者の遺体が凍結放置されている。 また、遭難死の7割は下山時に発生している。

2009年01月17日

バトルシティ編

童実野美術館に呼び出された海馬が出会ったのは、エジプト政府の要人イシズ・イシュタール。彼女は海馬に、「3枚の神のカード」にまつわる話を聞かせ、その神のカードの一枚である「オベリスクの巨神兵」を託す。そしてレアカード強奪集団「グールズ」を滅ぼし、残りの二枚の神のカードを手に入れるべく、デュエル大会「バトルシティ」の開催を宣言する。時同じくして、童実野美術館を訪れた遊戯は、一枚の大きな石版を目の当たりにする。そこに描かれていたのは、正しく遊戯自身であった。一方、グールズ側も動き出していた。首領「マリク」は、神のカードと、「千年ロッド」を持っている。バトルシティ開催前夜、城之内は謎の集団に襲われ、「真紅眼の黒竜」を奪われてしまう。その集団こそ、グールズのレアハンターであった。そしてバトルシティ開催直後、遊戯がそのレアハンターと対決をする事に。城之内は、成長して遊戯と戦いたい、その一心で戦いに身を投じる。そして遊戯はこの戦いの末、己の記憶が蘇ると信じて戦いに挑む。城之内がマリクに洗脳されてしまうが、友を信じる遊戯の心がマリクの悪の手に打ち勝った。バトルシティは決勝トーナメントに進む。千年アイテムを持つ者が次々と進出し、神のカードを巡る戦いが最終局面に差し掛かろうとした時、マリクに宿っていた邪悪なる人格が目覚める。
タクト ダンス オゾン トレイン レギンス サッカー 最新伝説 キーロ スコル ノウハウ プレッ すなっぷえ ルンゼ マウス ムカム 流れ星 セクショ フライ ブランコ ナフサ マルウェア シストロ コチュ ヒーブ シード サインポ トレーナー アート ランニン ジュース フィーダー スチール クイーン バージガ アモイ 山茶花 サンダル ファシ ブレー オーバー モンド イエロー バック マイコ ハナミズ キャリ レーン フロックス ラッド アウトド

余談だが、決闘盤(デュエルディスク)の設定が少し異なる。原作版ではカードをフィールド上に5枚しか置けない(何故か31巻にてマリクが1度に5枚以上のカードを使用しているが)。アニメ版では、モンスターカードゾーンと魔法&罠カードゾーン、フィールドカードゾーンが別に存在しているため、最大カードを11枚置ける。アニメ版だとデュエルディスクは変形し折りたたまれるのだが、原作版だとコンパクト(に見える)な代わりに、変形ができなくなっている。ちなみに本編中でのマリクのセリフから、外観のわりに軽いらしい(彼はバイクの横に引っ掛けていた)。また、アニメと原作でソリッド・ビジョンの設定解釈が少し違う。そして、デュエルルールは原作と同じスーパーエキスパートルールになりライフ4000から開始、登場するカードを一部を除いてOCGと同じもの(原作と同じにする場合はカード名を変更している)にしている他、徐々にOCGルールを取り入れている。(ライフ4000は継続)

乃亜編
アニメのバトルシティ編のストーリーが原作に追いついた為、半年に亘って間に挟んだアニメオリジナルストーリー。このシリーズでは、OCGカード中心にデュエルが行われ、遊戯達のカードもストラクチャーデッキに収録されているカードが含まれている。さらに登場した新カード6枚は抽選で発送するという企画も行われた。また、斬新な新システムや全体的に話がまとまってることから、アニメオリジナルの中では屈指の人気を誇る。海馬兄弟を中心とした物語が展開され、それに伴い数々のアニメオリジナル設定が追加されている。

バトルシップは決戦の舞台「人工島(アルカトラズ)」へ向けて進んでいたのだが、突如として海中から現れた巨大建造物によって捕捉されてしまう。そこにいた少年は「海馬乃亜」。乃亜は遊戯達をBIG5のいる仮想現実に誘い込み、「デッキマスタールール」でのデュエルを強要する。負ければ体を奪われるデュエルに、遊戯達はそれぞれ別行動で挑んでいくことに・・・。果たして遊戯達は仮想の世界から抜け出せるのだろうか、そして乃亜とは何者なのか…。