ベリア スニップ プット オランダ ポーズ フォロー 最終便 パピヨン カボル モンク デキス ライザー ユビキ オレン ムニエ はまおぎ タブカラー ライフ カーチ チークダン くぼち ビスター きこう しらかば シャー ポリタン リノリ ダンプ サスペ レーヨン ラバトリー ノルマ サイトシテ パルス アゼル マウンテン ジュール トリビア ジャパネ センタ リード いもづる カプラー レンレン ポーザル みやこ ダンテ トックス オーラ ジョンブル
エベレスト(Everest、チベット名:Chomolungma or Qomolangma、ネパール名:Sagarmatha)は、ヒマラヤ山脈にある山。世界最高峰。
標高については諸説あり、1954年にインド測量局が周辺12ヶ所で測定しその結果を平均して得られた8,848mが長年一般に認められてきた。1975年には中国政府が雪面を含む標高を8,849.05m(8,848.13m+積雪0.92 m)と測定した。1999年、全米地理学協会はGPSによる測定値が8,850mだったと発表した。2005年10月9日、中国国家測量局が2005年5月時点での標高は8,844.43m(3.5mの氷雪は標高に含まず)と発表した[1]。ただし、ネパール政府は現在もこれらの測定結果を認定せず、公式には8,848mとしている。地殻変動、地球温暖化による影響などもあり、標高は年々変動していると考えられる。
英名・エベレストはヒマラヤ山脈を測量した時にインド測量局長官だったイギリス人のジョージ・エベレスト(George Everest)にちなむ。なお、近代的車いすの発明者のエベレストとは別人である。エベレスト卿本人は現地名を重視する考えで自分の名がつけられるのを嫌っていたが、本人の死後に名前がつけられてしまった。
チベット名の「チョモランマ(ཇོ་མོ་གླང་མ, Chomo Langma)」はチベット語で「大地の母」の意味、ネパール名の「サガルマタ(सगरमाथा, Sagarmatha)」はサンスクリット語で「世界の頂上」の意味である。
エベレストの南麓に位置するネパールのサガルマータ国立公園はユネスコの世界遺産に登録されている。しかし、度重なる登山の遺留物、廃棄物で周囲はかなり汚れていることが指摘されており、野口健らによる清掃登山も行われている。
名称
古代この高峰はサンスクリット語でデヴギリDevgiri(神聖な山という意味)またはデヴァドゥルガDevadurga(19世紀の英語圏での発音はデオドゥンガdeodhunga)と呼ばれていた。また現在、ネパールでの名称はサガルマタ、チベットでの名称はチョモランマである。中国では珠穆朗瑪峰(Zhūmùlǎngmǎ Fēng)または聖母峰(Shèngmǔ Fēng)と呼ばれている。中国語での漢字表記には、他にMount Everestを訳したものとして、香港で用いられる額非爾士峰(Éfēiěrshì Fēng)や台湾で用いられる艾佛勒斯峰(Àifólèsī Fēng)などがあるが、サガルマタの漢字表記は通常用いられない。
1865年、英国インド測量局長官だったアンドリュー・ウォー(Andrew Waugh)によって、英語名がつけられた。チベットとネパール、双方への外国人の立ち入りが禁止されていた当時、彼は手記に以下のように記している。
「尊敬する前長官のサー・ジョージ・エベレスト大佐(Colonel Sir George Everest)は、全ての地形に現地での呼称を採用するよう、私に教えてきた。しかしこの山には、おそらく世界最高峰であろうこの山には、現地での呼称を見いだすことができなかった。もし仮にそれがあったとしても、私たちがネパールへの立ち入りを許可される前に、それが見つかることはないだろう。今のところ、この高峰を名付ける特権と責任とは、同等に私に委譲されているものと思う。この山の存在が、市民と地理学者に広く知られ、文明国家に深く浸透するかは、この高峰の名称如何に懸っているであろう。」
ウォーはこの山にジョージ・エベレストに因んだ名称をつけることにした。綴りは初めはMont Everest、後にMount Everestに変更した。しかし、現在のエベレストの発音(IPA:[/ˈɛvərɪst/または/ˈɛvərɨst/] EV-er-est)と実際のサー・ジョージ・エベレストの発音([/ˈiv;rɪst/]EAVE-rest)は異なっている。
1960年代、ネパール政府はエベレストには元々現地での呼び名が存在していたことを発見した。これまでこの存在が知られていなかったのは、エベレストがカトマンズ盆地とその周辺地域の民族に知られておらず名づけられていなかったからで、政府はエベレストの名称を探し出すことに着手した。しかし、シェルパ族の間での名称・チョモランマはネパール統一国家の考えに反するとして採用されなかった。現在のネパール名・サガルマタはネパールの著名な歴史学者、バブラム・アチャリャ(Baburam Acharya)によって考案されたものである。しかしその後もしばらくの間は、カトマンズから東方に高く見えるガウリ・シャンカルがサガルマタだと思っている人が多かった。
2002年、中国の人民日報は西洋でも英語名エベレストの使用をやめて、チベット名のチョモランマを採用するべきと主張する記事を掲載した。人民日報はチョモランマという中国名は280年以上前の地図にも記載されており、英語名よりも歴史が長いと主張している。
1852年、ベンガル出身のインド人数学者・測量技師、ラダナート・シクダール(Radhanath Sikdar)は現在ではPeak XVと呼ばれる地点を240km離れたインドから経緯儀で三角測量し、エベレストが世界最高峰であることを世界で初めて発見した。当時ネパールに入ることはできなかったため、より近距離での測量は不可能だった。測量の結果によればPeak XVの標高は約8,839m(29,000ft)だったが、一般には8,840m(29,002ft)と発表された。この時加算された標高は0.6m(2ft)であり、これは29,000ftという切りの良い数字が端数を切り捨てた概算値だと解釈されることを防ぐための処置だった。
現在最新の標高は8,848mとされているが、他にもいくつかの異なる標高が測量結果として報告されている。2番目に高い山はK2で、標高8,611mである。2005年5月22日、中国のエベレスト測量隊はエベレストに登頂、数ヶ月に渡る測量の結果、同年10月9日にエベレストの標高は8,844.43m±0.21mと公式に発表した。彼らはこの数値がこれまでで最も正確な標高であるとしている。しかしこの標高は最も高い岩石の部分に基づくもので頂上部分の氷や雪は含んでおらず、モンブランやテンリタグといった他の高峰の標高の基準と異なっている。測量隊は雪と氷の厚みも測量しており、この結果は3.5mだったことから、8,848mという従来の測量結果に誤りはなかったことになる。しかし実際のところ雪と氷の厚みは変化するため、正確なGPSによる測量がなければ、厳密な標高を求めることは不可能とされている。
現在最もよく知られている8,848mという標高は、1955年のインドによる従来より近距離からの測量によって、初めて求められたものである。1975年の中国による測量でも同様の結果が得られた。どちらも頂上部分の氷雪の厚みを含んだものである。1999年5月、ブラッドフォード・ウォッシュバーン率いるアメリカエベレスト遠征隊は山頂にGPSユニットを設置、8,850mという測量結果を発表した。これによれば岩石部分の標高は8,850m、氷雪を含めると更に1m高いとされている。ネパール政府は正式にこの測量結果を認めていないが、この数値は広く用いられている。1999年と2005年の調査双方にジオイドの不確かさという問題が指摘されている。
エベレストの標高は周辺のプレートテクトニクスにより年々高くなっており、山頂も北東へと移動していると考えられている。現在2つの報告書が、エベレストは年4mmの速さで標高が高くなっており、また山頂は年3~6mmの速さで北東へ移動しているとしている。しかし、他の報告書の中には横方向への移動はもっと速く(年27mm)、標高は縮むことさえあるとしているものもある。またエベレスト山頂では風化が激しいので、地殻変動によって一時的に8,848mを超えてもその分は侵食されてしまうため、エベレストの標高はこれ以上高くならないという説もある。
エベレストは最も高い海抜高度をもつ山である。しかし、ハワイのマウナケアとエクアドルのチンボラソがエベレストに代わる「世界最高峰」とする主張もある。マウナケアの海面からの標高は4,205mだが、海底からの高さを考慮すればその標高は10,203mを超えることになる。また海抜高度6,267mのチンボラソ頂上はアンデス山脈の最高峰ですらないが、地球の形状は赤道に近づく程に膨れており、地球の中心からの高さは6,384.4kmになる。これは、エベレストの6,382.3kmよりも2,168m高い。
また、最も深い海であるマリアナ海溝のチャレンジャー海淵はエベレストの標高よりも遥かに深い。もしエベレストをチャレンジャー海淵の深さに沈めたとすれば、山頂ですら2kmもの深度に沈むこととなる。
エベレストが位置するヒマラヤ山脈では地球温暖化の影響で氷雪が溶けるという現象が起こっている。
登頂史
英国山岳会が1921年に第一次遠征を派遣。エベレスト登山史の幕開けである。この遠征でジョージ・マロリーらがノース・コル(6,985m)に到達。1922年のイギリス第二次遠征では、8,225m地点まで到達。
1924年6月8日、イギリス第三次遠征で、第二次アタック隊のマロリーとアーヴィンがチベット側から頂上に向かった。途中セカンド・ステップと呼ばれる切り立った岩壁の難所を登るところまでは目撃されていたが、その後行方不明となる。第三次アタック隊がマロリーの登頂に懐疑的な立場を取ったため、マロリーらが初登頂を果たしたとは認められなかった。1933年のイギリス第四次遠征では、8,570m地点まで到達。この時、アーヴィンのピッケルが発見された。
1934年、イギリス人モーリス・ウィルソンが飛行機を山腹に不時着させ単独登頂をするという計画を立てたが、不許可となる。ウィルソンは徒歩で非合法登山を敢行したが、東ロンブク氷河で凍死した。
1951年、イギリス隊(隊長:エリック・シプトン)がネパール側よりアタック。難所アイスフォールを突破し、現在のノーマルルートの南東稜ルートを発見する。
1953年5月29日にイギリス登山隊のエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイ・シェルパが登頂に成功した。現時点ではこれが歴史上初のエベレスト登頂成功とされている。
1965年のインド隊(M・コーリ隊長)による登頂成功の後、ネパール政府によって外国人による登山が1969年まで全面禁止となる。
1999年5月1日、アメリカのマロリー&アーヴィン捜索隊が標高8,160m付近でマロリーの遺体を発見する。マロリー達が持参していたコダック社のカメラが発見されたならばエベレスト登山史上最大の謎が解けることになるが、未だ発見に至っていない。しかし、登頂に成功した暁に置いてくるつもりだった彼の妻の写真が遺留品に無かった事から、ジョージ・マロリーが登頂に成功していたのではないかという説を唱える人も多い。なお、マロリー&アーヴィン捜索隊は2001年にも捜索活動を行い、前回発見できなかったアーヴィンの遺体とカメラを捜索したが、この時の捜索では何も発見できなかった。
主な登頂歴
1953年5月29日 - (東南稜、世界初登頂) - エドモンド・ヒラリー(ニュージーランド)、テンジン・ノルゲイ・シェルパ
1960年5月24日 - (北東稜、中国側初登頂) - 史占春ら中国隊。ただし、中国国内ですらこの時の成功は信用されていない。実際の北東稜初登頂は10年後の再挑戦の時だったのは明らかで、この時に中国隊は、セカンドステップを越える梯子と、頂上にポールを残している。
1963年5月22日 - (アメリカ人初登頂、世界初縦走 西稜から南東稜) - トーマス・ホーンバイン、ウィリアム・アンソールド
1970年5月11日 - (日本人初登頂) - 松浦輝夫・植村直己
1973年10月26日 - (秋季初登頂) - 石黒久・加藤保男
1975年5月16日 - (女性世界初登頂) - 田部井淳子
1975年9月24日 - (南西壁初登頂) - ドゥーガル・ハストン、ダグ・スコット
1978年5月8日 - (無酸素初登頂) - ラインホルト・メスナー、ペーター・ハベラー
1982年12月27日 - (厳冬期初登頂) - 加藤保男
1988年5月5日 - (世界初山頂衛星生中継) - 日本テレビチョモランマ登山調査隊(同社の開局35周年記念特別番組の取材)
2003年5月22日 - (最年少登頂者) - 当時15歳の女性ミンキパ・シェルパ。チベット側から登頂。※2002年、ネパール政府は16歳未満のエベレスト登山を禁止している。
2005年5月14日 - (航空機による山頂への初着陸) - ディディエ・デルサーユ(ユーロコプター社所属パイロット)。自身が操縦するヘリコプターが山頂に数分間にわたり着地。同時に航空機による世界最高高度への着陸記録も達成した。
2007年5月22日 柳沢勝輔、71歳2ヶ月と2日。
2008年5月8日 北京オリンピックの聖火が午前9時17分(日本時間同10時17分)、世界最高峰エベレスト(中国名・チョモランマ)の頂上に到達した。女性登山家の吉吉、世界7大陸の最高峰を制覇した隊長の王勇峰らの手でリレーされ、チベット民族女性のズレンワンモが“最終走者”を務めた。
2008年5月25日 - (最高齢登頂者)- ネパール人ミンバハドゥル・セルチャン、76歳。
2008年5月26日 三浦雄一郎、75歳7ヶ月と14日。
登山料
エベレストに登頂するにはネパール政府に登山料を支払わないと登れないシステムになっている。ルートは15種類あり、そのうちの最も安い「ノーマルルート」は1人25,000米ドル(日本円で約260万円)である。ただし「ノーマルルート」は人数が多くなると割引があり、最大の7人参加の場合70,000米ドル、1人あたり10,000米ドルとなる。登山料は一度払うと2年間は登る権利があるが、キャンセルした場合でも一切返還されない。
遭難
登山ルートには、随所に遭難者の遺体が凍結放置されている。 また、遭難死の7割は下山時に発生している。